イラストを初めて6年

絵をはじめて6年になります。
2012年の11月26日にpixivに初投稿しました。
その時の絵がこちらです。

何が恐ろしいかって、これ模写なんですよ。
想像で描いているのではなくて、目の前にお手本があってそれを常に参照しながら描いていました。
たぶん1時間ぐらいかけたのではないでしょうか?

更に恐ろしいのが、当時私は「この絵イケてる!」って思っていたことです。
「まぁ、お手本と比べたらちょっと違うかもしれないけれども、でも大体こんなだよね?」と。

不思議ですよね。
多分絵をみる目が養われていなかった、ということなのでしょうが(そんな高尚なものではなさそうですが)、それにしても不思議です。

しばらくすると「この絵ひっどい!」ってなり、新しい絵を描いて「これいいじゃん!」となって、またしばらくすると「この絵ひっどい!」ってなるわけです。

例えばこれらは2年近く前の絵ですが、描いていたときは「おーイケてるじゃんー」って思っていたのですが、清書しだすとゴミに見えて途中でやめてしまいました。

たぶんこのループを繰り返して人は成長していくのだと思いますが、しかし途中で「この絵いいじゃん」って思うのがすごく不思議なんですね。客観的に自分の絵を評価できていないということです。

そういうことを繰り返していると、一切自分の絵に満足できない体になってしまいました。
なんか薬物中毒みたいですね。

それはさておき。

私の絵の変化を見ていきたいと思います。
技術的なこと(技術って言えるほど大したことはまったくない落書きなのですが)でいうと、線に強弱をつけるようになりました。そして線がすごく細くなりました。

これらはやや最近の線画ですが、線が結構細くなりました。

線が細いのは良くないと昔から色んな人に言われていたのですが、なんか細くないと落ち着かず・・・。
ある程度「これかな」という細さを選ぶようになりましたが、どうでしょう? 細すぎでしょうか?

また服のシワをオーバーに描くのが好きになりました。
好きな作家さんの影響です。

しかし、塗りは一向にうまくなりません。スクリーントーンも同様です。
そうなるとどんどん塗りが嫌いになってしまって、最近はラフを描いてちょっとペン入れして満足するようになりました。あまりよくないのは分かっているのですが、最近はラフ製造機になっています。


ベタ塗りでごまかしたりしている時期です。

ポーズの勉強として写真からイラストを書く練習もしていますが、あまり・・・。


色をちょっと塗り始めたら「うーんできないや」ってなって飽きてしまいます。

というより、6年前より絵にかけられる仕事が激減してしまったのが停滞の一番大きな原因ですね。学生と社会人はやっぱり違います。

というわけで、これからの6年に乞うご期待?です。

過去と今と今後と

私ってとてもひねくれ者な性格なのです。

何かを勧められても、あるいは何かが流行っていても、どうにもこっ恥ずかしくなってしまってそれに手を出すことができなくなります。自分でもそれは良くないなと思っているのですが、何か不思議なプライドが邪魔してしまって――あるいは、「私はあなた達とは違う」と思ったりして――手を引っ込めてしまうのです。

特に印象的なのが、高校の時――今でもとても、とても良く覚えているのですが――クラスメイトのある男の子が私に「この小説ほんっと面白いんだよ!」とある本を勧めてきたのです。

それが『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という本です。


2005年に発表されてベストセラーになった本で、9.11の同時多発テロとドレスデンに空爆を題材にしたフィクションです。
当時、連続でNYタイムズベストセラーかなにかになっていて、誰も彼もが読んでいる本でした。私はその本にとても興味を持っていたのですが、ベストセラーだから手を出すのが恥ずかしくて、多分サリンジャーとかすごいひねくれたものを読んでいたはずです。

さて、なんでそんな話をしているかというと。

実は最近この本を読んだのです。
勧められたのがきっと2006年か2007年頃のことですから、なんと10年越しですね。
恐ろしい。

読んでいて、当時高校生の自分だったら読むのがきっと辛かっただろうなと思いました。

私、実は9.11同時多発テロの話がとても苦手なのです。
得意な人なんていないかもしれませんが……。

私は直接テロで知っている人を失ったり、その映像にトラウマを覚えたわけではありません。
2001年、私が11歳だったときの事件ですが、何よりも印象的だったのは飛行機が突っ込む映像でも、ビルが崩れる映像でもありませんでした。

一番印象的だったのは、真珠湾攻撃の映像が何度も何度も繰り返しテレビで流れていたことです。
このあたりがきっと9.11に対しての、日本との報道の違いだったのではと思います。

同時多発テロはアメリカ本土への攻撃ですが、これは真珠湾以来数十年ぶりの攻撃だったのです。
だからアメリカでは、ひたすら真珠湾の攻撃の映像を流していました。
パールハーバー以来の……と。

それで私は日本の血が流れているから、とても気まずかった記憶があります。
別に何かやましいことがあるわけでもないのに、11歳という多感な年齢だったせいか、とても苦しくて。

だから9.11の話を聞くと、私はどうしてもその時の気持ちを思い出してしまいます。
何なんでしょうね。トラウマというわけでもないのですが、不思議なネガティブなノスタルジアを感じるのです。

そんな本を読みながら、ふと中学や高校の頃のことを思い出していました。
そういった経験の積み重ねが私を作っているのでしょうか? どうなのでしょう?

結局何を言いたいかよくわからないブログになりましたね。平常運転でしょうか。

絵も頑張っていきます。
来年の頭ごろに、漫画作品を発表しますよ!期待していてくださいね!暗い話だけど!

コレクション

モノを所有したい欲って人間の特徴の一つですよね。
本能的に、何かに魅了されてコレクションしたくなるというのは誰にだってある感情だと思います。

例えば私の父は本のコレクターです。
幼稚園の頃の夢が図書館を作ることだったらしく、三つ子の魂百までといいますか、未だにせっせせっせとミニ国立図書館みたいな感じに本を集めています。ちゃんと読んでいるのか不安になりますが、本の知識は凄まじく歩く参考文献リストです。

そんな父も70を超え、本のデジタル化を業者さんに頼んだとのこと。
ガレージ車3台分、貸し倉庫のコンテナ2個、書斎が2部屋と本があるのでものすごい金額(自分の現役時の年収並み)かかるとかなんとか。
恐ろしいですが、元気なうちに好きなことをさせてあげたいと思います。

さて、私はミニマリストワナビーです。ミニマリストに憧れてあれこれやるけど、なかなか「机とベッドとパソコンだけ!とはいかないものです。

そんな私でも、コツコツとモノを捨てて、デジタル化できるものはデジタル化しています。

本はKindleに、ビデオはHuluやネットフリックスに…

そうやって変えていっているのですが、どうも引っかかるものがあります。

Kindleの本はKindle本体にダウンロードされてていつでも読めるから良いのですが、映画のコレクションをHuluやネットフリックスといったストリーミング配信サービスに切り替えたら、なんか心寂しいのです。

ネット環境につながないと見られない…のは問題ではありません。大体ネットにつながるところじゃないと落ち着いて映画なんて見られないですしね。

でも、クラウドに保管されていて、手元にさっと取り出せないというのがなぜか歯がゆいんです。

パッケージを手にとって、裏面を見たり…
裏表紙が並んでいるのを見たり…

なんか、そういう物理的な欲が出てきてしまうんですね。

実はブルーレイを処分してネット配信サービスで見るようになってから、月あたりの視聴本数はかなり増えました。見られる作品も多いですし、前は見なかったであろうジャンルもよく見るようになりました。

それでも…なんでしょう、この寂しさは。

失ってはじめてわかる寂しさ…?

慣れの問題なのでしょうね。


旅をしたくなります。
古城を巡りたいです。
そんな絵です。

掌返し

こんにちは、いつみです。
先週は恨み節満載な気持ち悪いブログを書いていましたが、なんか今はけろりと手のひらを返したかのように気分が良いです。あの時の私はおかしかったので、ダークいつみということにしておきましょう。

私が小学校の時、担任の先生が強烈な性善説みたいなものを取っていて、「君たちは本当はみんな良い子なんだよ。たまに悪い子としたり、成績が悪かったりするのは、ダークサイドに堕ちたからなんだ」とか説明して、「フォースとともにあらんことを」と言って締めていました。今思うとあれだいぶぶっとんでいますね。
ちなみにアメリカは国勢調査とかのときに宗教を書く欄があるのですが、「ジェダイ」と書く人がわりと多いそうです。

それはさておき。
はいどさんが毎回ブログに素敵なイラストを添えているので私もイラストを付けたいのですが、いかんせん筆が遅いんですね。
現在進行系の絵とか、お蔵入りした絵とか、それはもうこのブログのサーバーをいっぱいにできるぐらいありますよ!
でも完成しないんです。

完成しないって、一種の病気なのかなと思っています。
別にそれは病名をつけて逃げちまおうぜ!みたいな意味合いではなくて、純粋になんかうまく完成させられないのです。

途中で「くっ・・・私の実力はこんなものじゃない・・・目覚めよ・・・我が右手ッッ!」ってなったりするのです。
でも別の絵を書き始めても、途中まで「これだよ!私が描きたかったのはこれなんだよ!やっと会えたね・・・!君の・・・君の名は!?」みたいになるのですが、結局最後は「これじゃない・・・私が求めているのはこれじゃない・・・去れ・・・ここからいなくなれーー!!」ってなるんです。

病気ですね。

で、そのことについてサークルメンバーから熱い叱責が入ったので、今回は完成させる方向で描いています。
このセリフ前も言ったような気がしますね。怖いですね。

人は過ちを繰り返す悲しい生き物なんだというセリフがどっかにありましたが、まさにその通り!

悲しみに閉ざされて 泣くだけの君じゃない 熱い胸 きっと 未来を切り開く筈さ

かっこいい。
しかしクォーターロシア人でも金髪碧眼になるんでしょうか・・・?

恨み節

人の愚痴や恨み節ほど聞いていて面白くないものはありません。
それは分かっているものの、私は今回愚痴を書きます。
それで何か改善されるわけではないとわかっていながらも、もしかしたら将来の自分を啓蒙できるかも!とかいう素晴らしい理念を持っているわけでもなく、ただ愚痴りたいのです。

昔のこと。
バーでおしゃれになんかよくわからないカクテルを頼んで、
「マスター、聞いてくれる? 最近こんなことがあってね・・・」
なんて話すのが最高におしゃれなのではないかと思っていました。

私が行くのはくそやかましいHUBで、ラムケバブをもっきゅもっきゅ食べながらレッドブルウォッカを飲むガサツな感じです。
おしゃれとは程遠いです。

でも結局どこにいても愚痴るっていう行為は同じなんですね。

それはさておき。

私、最近絵が描けないんです。
絵がうまくならないわけではありません。
実際うまくなっていないんですけれども、どうやったらうまくなれるのかは分かってきました。
正しい練習法、正しい知識、正しいやり方・・・・・・実は全部分かっているんです。

でも−−
それを実行することができないんです。

ほら、
「掃除しないといけないな」って分かっていても、掃除できない。
「勉強しないといけないな」って分かっていても、勉強できない。

原因はよーーーくわかっていても、
ああ、部屋がきたない
ああ、成績がのびない

そういうことばっかりです。

つまり私は辛いことをするのがあまり得意ではないようです。
・・・・・・いえ、辛いことは結構得意なはずなんですけれども。

なんで一歩踏み出せないんでしょう?

私が客観的にこのブログを読んでいたら。
「そんなもん書いてる暇があったら絵かけばいいのに。練習すればいいのに」
って言うに決まっています。

私だってそう言いたい。
頭では分かっている、でもなんか手が動かない。

なんでなんでしょうね?
見返りがないから? いえ、見返りはしっかりあるはずなのに。

最近の私は「頑張れない」人間になってきています。
これが堕落でしょうか?

とてもつらく。とてもくらい。

いつか抜け出したい、このトンネルに私はいまいます。
でも今日も、土曜日をまるまる何もせずに潰してしまいました。

やれやれ、ですね。

ゲームの世界へようこそ!

最近のテクノロジーの進歩はすごいな、と年寄りみたいなことを言ってみます。私はまだ二十代です。

AIとかIoTとか自動運転車とか、そういうキーワードを最近良く耳にします。
ビットコインをはじめとする各種仮想通貨も年初から乱高下していたり、テクノロジーの関連の話題は尽きません。
私も無意味にドローンがほしいなとかテスラ自動車がほしいなとか思ったりしています。多分買いません。

しかし昔は上記の様なロボットが世界万博に展示されたり(1939の映画のワンシーンです)、何度も何度も「テクノロジーの新時代がくる!」と言われてきました。
実際、自動車の普及であったり、コンピューターの登場だったりとすごい革命は沢山あったと思います。
アラン・チューリングやスティーブ・ジョブズのような天才だって現れました。最近は前述のテスラ自動車やスペースXのイーロン・マスクでしょうか。

でもなかなか、人々が想像する未来は訪れませんね。

昔の人が考える未来は自動車が空を飛んだり、誰も働く必要がなかったり、宇宙に住んでいたり……そういう世界です。
もちろん、例えばテレビ画面等の「昔の人がみたら度肝を抜かれる!」みたいな技術は沢山登場してきています。

次は何が起きるのでしょう?
とても楽しみです。
私が生きている間に、びっくりするような新しい技術はいくつ登場するのでしょうか?

個人的にちょっと楽しみなのがVR技術です。
そしてVR技術に併せて、ゲームの発達が楽しみです。

私は自分が経験したことがないことにチャレンジするのが大好きなのですが、どうにも臆病なところがあります。
ですからゲームの世界で例えば深海に潜ったり、宇宙にいったり、剣を手にとってドラゴンと戦ったり、そういうことができるのはとても楽しいものです。
もともとあまりゲームをやる人間ではなく、親もゲームを「ピコピコはやめなさい」とか言っていたクチですが、やってみると面白いものです。

特にpixivのお友達に誘われてやった「バトルフィールド」はかなりドキドキしました。
「ドイツ兵だ!ぶっ殺せー!!」と私自身ドイツの血が流れているのにワイワイやってしまったりします。怖いですね。

ゲーム画面もどんどん綺麗になっていって、PS4とか見たとき「すごい!」と思ったのですが、これもどんどん技術が進めば陳腐化するのでしょうか?

私の父親は「シンドバッドの冒険」の映画を劇場でみて「失神するかと思った」というほどその特殊効果にびっくりしたそうです。
今見ると、大したことなく見えますよね。

技術の進歩は本当にすごいです。

ところで最近面白いと思ったのは「Papers, Please」というゲームです。
私が実際プレイしたわけではないのですが、YouTubeでプレイ動画を見てすっかり魅了されました。

共産主義国家の入国審査官になりきるゲーム……

こういう発想ができる人間になりたいです。

田舎と映画

最近絵をもっと頑張ろうを決意を新たにしたいつみむらまさです。特に理由はないのですが、ふと最近あまり絵に力を入れていなかったことに気づいたので頑張りたいと思います。前も書いたかもしれませんが、昔ほど情熱がなくなってしまったのはきっと目に見えて絵が上手くなる事がなくなったからだと思います。何だって始めたばかりの頃が上達が早いので楽しいですよね。

最近は描いても上手くなっているのか下手になっているのか分からないのでサークルメンバーに「うまくなった?ねえうまくなった?」と聞いてウザキャラと化しています。

ちゃんと描いていきますよ!

さて、話は変わるのですが最近イタリア映画の「ニューシネマパラダイス」のブルーレイ版を購入した。DVD版と違うカットなのですが、かなり印象が変わりますね。トルナトーレという監督の作品なのですが、同監督の「海の上のピアニスト」と「鑑定士と顔のない依頼人」はあまり好きではなかったのですがこの「ニューシネマパラダイス」はとても好きです。

好きな理由は実はたった一つのことなのですが、それはずばり「偽物ばかりの田舎を描いている」からです。

私はアメリカのど田舎出身です。
そもそも「隣の家」がイコール「隣の町」みたいなところに住んでいました。

ニューシネマパラダイスの舞台はそれと比べれば遥かに都会と言えるシチリアの田舎町なのですが、そこにあるものは全て偽物なのです。もともとは全てれっきとした本物なのに、時間が停滞しているから偽物になってしまう。

私は小さい時、自分の住んでいた場所が世界のように思えていました。世界一自然が綺麗で、走り回れる遊び場が沢山あって、かわいいフクロウが住んでいるサボテンの穴とか怖いガラガラヘビが出る丘とかを知っていました。車で何十分もかけていく小学校は最高に愉快な仲間たちがいっぱい。

そんなの偽物なんですね。
いえ、本物なのかもしれないけれども、陳腐化してしまう。

「この街を出て行け。ここは全てまぼろしなんだ。お前とはもう話さない。お前の噂を聞きたいんだ」

この台詞は田舎町出身の私にはとても心にくるものがあります。

実は先月、8年ぶりに実家を訪れました。
8年前の私は19歳。
実家は何も変わっていなかったです。私の部屋の荷物が全て納戸に入れられてて、家の周りに野良うさぎが増えていたぐらい。
時が止まっているんです。
何もかもから閉ざされていて、そこで起きたあらゆる喜びと悲しみがずっとそのまま。

ちょっと埃を払えば、4歳ぐらいの私が走り回っていてもおかしくないあの時の家になります。あるいは日本に行くための荷造りをしている、高校を卒業したばかりの私がスーツケースを持っていてもおかしくないあの時の家になります。

それが恐ろしくて、私はその日実家には泊まりませんでした。

そんな気持ちが蘇って、「ニューシネマパラダイス」は見ていて感慨深いものがあります。

田舎が嫌いなわけではありません。
田舎には田舎の良さがある。
全てがまぼろしで偽物のわけじゃない。それは自分の周りにあって、自分が育った環境がそう見えてくるだけなんです。

でも、それをとても綺麗に描いてくれていて、この映画はとても不思議な気持ちになります。

ところで私は「ノーブルウィッチーズ」のマリアンが好きなのですが、その理由は彼女が私みたいな田舎出身だからです。
小学校の時にシンデレラの役をやる事が人生の全てだったなんて、なんかすごくわかる!

みなさんマリアンを応援しましょう!(謎

イラスト描きおじさん

登場人物紹介

 

イラスト描きおじさん

イラストを描いているおじさん。pixivで気に入った画像に独自のタグをつけていくのが好き。また、そのタグが10日後にいくつ削除されているのかの統計を取るのも好き。コミケで優勝したことがある。

 

イラスト知らないボーイ

イラストのことをよく知らない男の子。そのくせ適当に描いた落書きが国立西洋美術館で展示された。45歳。

 

 

おや、お客さんかな。はじめまして。

 

イラスト描きおじさんだよ。

 

 

今日は雲一つない良い天気だね。

 

 

 

こんな日におじさんの故郷は空襲されたんだよ。

 

 
今日はストライクウィッチーズのエイラのイラストを描いていくよ。

 

 
おじさんは、エイラが大好きなんだ。

 

 
(本当に、本当に大好きなんだ……)

 

 
でもおじさんは胸が小さい子を描くのが苦手だから、自然と巨乳になるよ。

 
みんなにもそういう事あるよね。

 

 
だからなるべく「未来のエイラ」とか「アウロラお姉さん」とか適当な言い訳をして胸が大きいエイラを描いていくよ。

 

おじさんは言い訳だけは誰にも負けないからね。

 

 

 

さっそくおじさんのイラストを紹介するよ。

 

 

 

おじさんが描いた「エイラ」のイラストはこうだよ。

 

(吐き気がする……)

 

 

 

おじさんはデッサンが苦手だから、基礎から練習してその絵をなんとなくエイラにしたんだ。

 

 

基礎ができていないでなんとなく就職したらもう50代だよ。笑っちゃうね。

 
現実のエイラはこんなに胸が大きくないけど、イラストだとどんな形にもできるからいいね。

 
おじさんは現実なんて直視できないんだ。

 

エイラは未来予知ができるウィッチなんだ。

すごいだろう?

 

 
おじさんも、20年前に未来が見えていたら妻も子供も去らずに済んだんだ。

ギャンブルなんてするもんじゃないね。

 

 

 

 

それじゃ、イラストも紹介したからおじさんは消えるね。
さようなら……

 

 

*イラスト知らないボーイはイラストを知らないため登場しませんでした。

...

こんにちは、いつみむらまさです。
上の記事は「Wixoss」というゲームの公式コラムに登場する「デッキ開発おじさん」のパロディです。(参考リンク

最近wixossに手を出したのですが、公式サイトを見たらいきなりこんなコラムが出てきて衝撃を受けました。

私はあまりゲームに触れずに育ってきたのですが、その反動かここ2-3年、色々なものに手を出すようになりました。
とはいえあきっぽいのであまり長くは続かないのですが……。

ただチェスとか将棋とかひたすら頭を使うものは小さいころから好きで、その延長でwixossは頭を使って読みあいが多くて楽しいと思います。長く続きそうです。アニメもあるし!

最初は絵を見て「全部女の子の絵なんだ」とか「これかわいいな」とか思ってみていたのに、最近はカードを見ても「チッこいつLB持ちか枠考えないと」とかそんな現実主義的な感想しか抱かなくなりました。いえ大会とかほとんど出ていないのですが……。

ある程度物事に集中し始めると、感情的なものがそぎ落とされてしまうことはありませんか?
私は勝手にこれをデジタル化と呼んでいるのですが、例えば仕事でもあんまり取引先の気持ちとかそういうのを考えずに、何が正しいか、何が一番手早く合理的に目の前の仕事を終わらせられるのかということを考えて「0か1か」みたいなデジタル思考になってしまうことがありました。

あるいは絵に関しても、四年ほど前に絵を始めたときはどんなにへたくそでもとにかく描くことが楽しくて、輪郭が曲がっていようと関節が外れていようと、「いやっほぅーたのしーー」という調子でガンガンかけていたものです。

今は中途半端にうまくなったせいで「あそこなおさないと」とか「この構図は難しすぎるからもっと落ち着いたものにしよう」とかそんなことばかり考えるようになりました。よくないですね。いいのかな。

ジャクソン・ポロックみたいになったら気が楽そうですね

 

 

あるいはバーネット・ニューマン?

とにかくあまり気にせず気楽にサクサク描いていきたいです!

最後までやり遂げよう!

作品は最後まで描ききろう、というアドバイスを昔もらったことがあります。
絵を描き始めるとついつい自分の描きたいところまで進めて、苦手なところは後回し。確かに上達を妨げてしまうような気がします。
しかしそれとは同時に、私は筆が進まなくなるとずっと悶々としてしまいます。

絵をかきはじめる→詰まる→どうやったらいいのだろう!→イライラする→絵が嫌いになる

という最悪のループにはまる可能性があります。というかはまります。

よって私は結構「積み絵」があります。
サークルのy.kidoさんと一年以上前にはじめたラブライブ企画絵とか・・・すみません。

下の絵もその一枚です。

書店にいるきつね女店主さんなのですが、人物はかけたものの背景がうまく描けずお蔵入り状態になっています。
いえ、描く気はあるのですよ!

でも、筆が進まないというのはものすごくストレスで、ついつい「今の自分でもかけるもの」を描いてそれで「やればできるじゃん私!」と意識を高める?ことができます。モチベーションは大事ですね。しかしそれは結局「自分のできるレベル」を超えることはないので、なかなかステップアップにつながらないという辛さがあります。なので強制参加の企画とかは何が何でも仕上げないと行けないので、結構好きだったりします。最近は忙しくてなかなかできないのですが……。

毎日1枚絵をTwitterやPixiv等にアップしている人たちがいますが、私はその「筆の速さ」にびっくりする以上に「完成させる力」にびっくりします。

でもどんな絵が上手い人でも「ボツ絵」は出るらしいですね。
上手な人が「うまくかけた絵の10000倍はゴミ絵がある!」みたいなことを言っていて、正直ちょっと安心したりしました。

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さて、さっき「本屋の書店の店主さんの狐娘」という謎な設定のキャラクターが出ましたが、それ繋がりで最近読んだ本を。

京極夏彦氏の「書楼弔堂 炎昼」(しょろうとむらいどう えんちゅう)です。

Amazonリンクはこちら(アフィリエイトではありません)

何も考えずに手に取った本なのですが、シリーズものの二作目なのですね。一作目を読んでいなかったのですが普通に楽しめました。
色々な歴史上の有名人物が出てきて、その人に見合う「一冊」の本を巡るお話です。
いやすみませんこの説明は雑すぎますね。でも非常に読みやすくて(昔京極夏彦氏の別の本を読んでいたら長くて途中でやめてしまったのですが)おすすめです。
オムニバス形式(時系列はありますが)なのもうれしいですね。

さてこの本で特に印象的だったのが、「あなたの一冊」を探すというところ。
これ、すごくよくわかるのです。

本屋さんに行くと、大量の本があって圧倒されませんか?
新刊から見ようとか、好きな作家から見ようとか、あるいはもう適当によくわからないジャンルに手を出してみるとか……
色々な「本屋の切り込み方」があると思います。

ですがそのたびに、本をかうたびに、「私はこの本でいいのだろうか?」と悩みます。

これだけ本があるのだから、きっとこの中に「私の人生を変える」一冊があるに違いない!!

そう思うのです。
ですがそれはどうやって見つけていくのでしょう?
難しいですね。

そうやって今日もまた本屋に行ってしまうのでした。

スランプと葛藤

こんばんは、いつみです。
最近私のブログ投稿は本のレビューだったり映画の話だったり、あまり絵と関係ないものが続いています。
イラスト・漫画サークルなのにあんまり絵の話がありません。

というのも実は最近スランプ気味です。
スランプって何なんでしょう?

実は本日11月26日は私の絵をかきはじめた記念日(=pixivに投稿をはじめた記念日)だったりします。
2012年の初投稿がこちらです。

絵をはじめて4年になるんですね!
長いようで短いよう、という言い方をしようかなと思いましたが正直短かったです。
この4年間で有意義な絵の悩みもありましたし、無意味な絵の悩みもありました。
無意味なものでは「もっと早く絵をはじめればよかったー!」とか「あー昨日練習やっておけばよかったー!」みたいな悩みです。
いえ、無意味だとわかっていても日々悩んでしまうのですが・・・。

有意義な悩みというか試みとしては「毎日1時間ドローイングしちゃおう!(1時間で絵を描くという、Twitterなどで流行りのものです)」とか、絵チャットで耐久模写大会をしよう!とかです。
前者は当サークルの落蓋さんに「結局1時間クオリティの絵がうまくなるだけ」と言われ、後者はモモの水道水さんに「模写ばっかしていた先輩は大成しなかった」という悲しい報告をされて最近はあまりやらなくなりましたが、それでも何か決めて描く!というのはとても有意義だったと思います。

さて、スランプ。
スランプといっても、とても広い意味を持つものだと思います。

私の場合のスランプは、絵のクオリティが一定になっていることです。
全力を出しても、ちょっと手を抜いても、なんか結果的に同じになるような・・・?みたいな感じです。
ですがそれって多分思い込みで、なんだかんだで全力を出した絵は手を抜いた絵よりうまいはずです(自己解決)。

しかしなんでスランプ気味なのか・・・
好意的に解釈すると「描きながら絵が上達しているから、描いていても下手に感じちゃうんだよ!」というもの。
なにそれすごいポジティブ。

あるいは「成長の限界に達したんだ!」というもの。
とてもネガティブ。

でもどちらもあり得ると思います。
どこまでもうまくなるよ!可能性は無限大だ! と思いたいところですが多分限界はありますし、それが今日くるのか明日来るのかもわかりません。
もちろん練習して磨けばよくなるはずですが・・・。

あるいは「やべー画力がアップして目の前のアウトプットに追いつかないぜ!!!」みたいなパターンも。
私に限ってそれはないと思いますが・・・。

というわけで、絵があまりうまくなりません。
そう、平たく言えば「なんかうまく見えないぞー!」ということなのです。

さて、どうしたらよいでしょうか。
昔の私だったら「うぉおおお描いて克服だああああああ」ってなって、絵チャット10時間お絵かき耐久!みたいな企画をサークルで打ち立ててメンバーを屠っていたところですが、今回はちょっと立ち止まることにしてみました。
貯めていた小説を読んだり、見逃していたドラマ録画を見たり、上手い人の絵をぼーっとみたり。
いいものを見ても、インスピレーションが湧いてもすぐに絵に落とそうとせず、「そんなのもあるのねー」程度に終わらせておきます。

名付けて「サナトリウムお絵かきスランプ克服法」です。
風立ちぬ見たくなってきました。

そんな調子で今年もあとすこしです。
2016年が終わる前に1枚、オリジナル作品を描きたいです!
そのために今できること……それは寝ることです!

ではおやすみなさい。